大手スクラップ輸出業者が相次いで経営破たんに陥った。2000年代の資源ブームを背景にスクラップ輸出市場は急成長したが、08年のリーマン・ショック後に環境が激変。市場規模は縮小し、外資系輸出業者の日本進出や、景気低迷による国内発生の減少で集荷競争は激しさを増しており、スクラップ輸出業者が置かれる厳しい境遇が浮き彫りとなった。
今月19日、スクラップ輸出大手のエフ・イー・マテリアル(本社=千葉県美浜区、小林裕樹社長)が自己破産を申請、同大手の吉中商事(本社=千葉県柏市、中村守男社長)も21日に民事再生法の適用を申請した。ともに鉄や非鉄スクラップの輸出を原動力として、00年代に入り急成長を遂げた企業だ。エフ・イー・マテリアルは約33億円、吉中商事は約99億円と多額の負債を抱えた点でも共通する(ともに帝国データバンク調べ)。
開業したのは両社とも90年前後だ。エフ・イー・マテリアルは東京事務所をはじめに、宮城、神奈川、熊本、沖縄、大阪、愛媛、新潟など全国に事業拠点を展開。順調に取扱量を伸ばし、08年の年間売上高は280億円に達した。吉中商事も全国に最大13拠点を設けて拡大路線を目指し、06年の売上高は305億円に上った。両社の盛衰は、スクラップ輸出業界の隆盛とその後のマーケット規模縮小にそのまま重なる。
解体現場で発生する鉄・非鉄が混在する雑品、廃家電、低品位電線スクラップや込み黄銅(青銅、黄銅の混合スクラップ)、アルミ・銅などが混在するミックスメタルといった低品位スクラップは、00年代に入り輸出が急増した。輸出先の9割以上を占めるのは中国だ。中国の現地業者は人件費の安さを武器にした人海戦術でスクラップの解体・選別を行い、品位を高めた原料を金属製錬メーカーへ販売する。
雑品・銅スクラップの輸出量を例にとると、00年の11万853トンから、05年の42万4326トンまで5年で4倍に増加。雑品は鉄スクラップとして輸出するケースも多いとみられ、実際の輸出規模はこれを大きく上回ると考えられる。日本で輸出専業のスクラップ取扱業者が台頭してきたのは90年台半ばで、前述の2社の創業と同時期。00年代に入ると資源バブルを背景に業績を伸ばし、拡大路線を歩んできた業者も少なくない。しかし、「どんなスクラップでも、集荷さえすればいくらでも中国に売れた」(大手輸出筋)という資源ブームの黄金時代も長くは続かなかった。
転機となったのは08年秋。リーマン・ショックによる非鉄金属相場の下落によって在庫の評価損が膨らみ、輸出業者の経営を圧迫。その後の経済不況によって市場規模は縮小した。雑品・銅スクラップの輸出量は09年に35万9462トンに減少。以降は10年の28万6942トン、11年は28万8394トンに減り低位安定した。
リーマン前の拡大路線で多額な借入金があった業者は、利子の返済に追われて運転資金が不足。資金ショートでさらに取扱量が減るという悪循環に陥った。
またこの間、中国では経済成長に伴って沿岸部の人件費が高騰。中国国内でスクラップの輸入・解体事業を行っていた業者が、現地での経営にうま味がなくなり、相次いで日本に進出してきたことも追い打ちをかけた。千葉県四街道市などを例に、外資系スクラップ業者が関東圏を中心に次々とヤードを開設。自ら日本でスクラップを集荷し、中国へ輸出する業態が急増した。外資系業者はスクラップの販売先が確保されているため価格競争力が高く、在来の国内業者との間で集荷競争が激化した。
また、中国の金属需要の伸びが一服したことに伴い、現地製錬メーカーの品質要求は次第に高まった。中国バイヤーはスクラップの品位に敏感になり、より低品位のスクラップに関しては買いたたく傾向が強まった。このため、集荷したスクラップを十分に選別することなく、以前のように右から左へ流すような形態で輸出する業者は苦境にあえいでいるのが現実だ。
東日本大震災後の経済停滞による国内のスクラップ発生薄で、足元は輸出業者の取扱量と利幅が一段と減少。中国の鉄スクラップ市況が悪化したことも、鉄や雑品スクラップの取扱業者の業績を圧迫している。ある大手輸出筋は、「輸出業者の数が増えすぎている。淘汰(とうた)が進まないと、適正なマーケットは成立しない」と話す。今後も拡大路線を進めた業者の経営破たんが続く可能性は否定できない。
ただ、中国の経済成長は続いているため、原料需要自体は底堅い。現在でも、集荷した雑品や雑電線などスクラップをヤードで丁寧に選別し、品位を高めて輸出する業者には、好調な業績を維持している例も存在する。今後のスクラップ輸出は、取り扱い規模を維持するのではなく品質を重視し、採算性を優先して必要に応じた事業拠点の集約などを行い、環境に適応した企業だけが生き残る時代となるだろう。