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構造改革に挑む/<6> 総論 国内メーカー(1)

合従連衡・高炉

日刊産業新聞 2002/4/ 8

▼過剰体質克服できず

 2000年4月、NKKと川崎製鉄は、物流・補修・購買――の3分野における製鉄所など事業所間協力について合意した。同年秋、一般紙の一部が「NKK・川鉄 統合へ」と報じ、衝撃が走った。当時、業界内では「あるいは…」という疑心暗鬼が流れていたが、両当事者がこれを否定したため、一応、沙汰やみとなった。しかし、01年4月13日、NKK・下垣内氏、川鉄・江本氏―両社長が記者会見し、02年10月持株会社設立、03年4月経営統合を発表した。

 この間、川鉄=韓国・現代鋼管(現ハイスコ)、新日鉄=仏ユジノールとの提携、NKK=独TKSとの技術交流など、東西入り乱れて提携話が錯綜した。欧州では、仏ユジノールとルクセンブルク・アルベドグループが統合。米国ではLTVに続いて、その後ベスレヘム・スチールも倒産するなど、世界の鉄鋼業界はまさに騒然、カオスのような状況を呈していた。

 そもそも、NKK・川鉄統合の背景の一つには、「ゴーン・ショック」と呼ばれた日産自動車による自動車鋼板の購買集約(2000年度実施)があった。

 現社長のカルロス・ゴーン氏が掲げた「リバイバルプラン」に基づき、月間8万数千トンの購入量を分母として、それまで6社から購入していた鋼板類について、3社程度に絞る。それぞれ数量増となるメリットの分、価格で(20%程度)還元してほしい―という内容だった。

 その後、日産との間で、個別協議が行われ、結局、新日鉄60%、川鉄30%、その他という結論になった。00年4月から、モデルチェンジごとにシェアは変更されていっている。98年度時点と00年度の各社日産向けシェアは、新日鉄28%→50%、NKK24%→12%、川鉄26%→32%、住友金属12%→3%、神戸製鋼7%→3%などとなっており、まだ過渡期だが、傾向はうかがうことができる。量は得たものの、失ったものが大きい。日産向けが引き金となり、トヨタなど他メーカー向けの価格もジリ貧に。

 一方、鉄鋼業界では2000年度は「フル生産」が流行語となった感があり、旺盛な生産意欲のもと、各社増産に走った。

 その結果、00年度の全国粗鋼は1億690万トンと、大増産。これは91年度の1億1171万トン以来、10年ぶりの生産水準。しかし、冷静に業界の周囲を見れば、そんな風に増産する情勢ではなく、国内は公共投資が後退、住宅・自動車など主力需要産業向けも微減横ばいの状況。

 輸出は米国向けがAD提訴でほぼシャットアウト、東南アジアは通貨危機のダメージからようやく立ち直ってきたが、本格的に需要が伸びる段階にはなかった。唯一、韓国は建築ブームなど全般に立ち直り、とくに現代ハイスコ(年産能力180万トン)、東部製鋼(130万トン)が相次いで冷延工場を新設、ホットコイル需要が盛り上がった。中国も半製品需要が堅調――という材料はあったものの、全体的にそれほどはしゃぎまわるような状態にはなかった。

 その過程で輸出価格はどんどん下落し、ホットコイルがトン当たり200ドルを切ったり、ごく一部の冷延でホットを下回るものや、一部の表面処理鋼板が冷延並み以下になるというきわめて不正常な価格体系が現出。韓国POSCOが怒って、対日輸出で報復価格を打ち出すような場面も表れ、大混乱の様相を呈した。

 00年度の製鉄所操業率は、新日鉄約93%、NKK81%、川鉄80%、住金81%、神鋼71%。その結果となる00年度当期損益は、新日鉄184億円、NKK15億円、川鉄▲276億円、住金59億円、神鋼▲606億円(単独決算)、「新日鉄の一人勝ち」と評された結論に。

 こうした業績結果が、JFEグループ誕生の引き金になったことは疑いない。
 01年度は当初から、こうした「造りすぎ」「利益なき繁忙」を続けると、「全メーカー赤字になる」と憂慮された。第3四半期の入口でようやく各社、自主減産に入ったが、「減産が業績に響く」鉄鋼メーカーの宿命である。11月以降、住友金属、神戸製鋼の株価が急落、ついに神鋼―新日鉄(12月4日)、住金工―新日鉄(同11日)の相互連携が発表された。

 85年および95年の円高ドル安による構造変化、需要家からの値引き要請、97年以降の輸出市場政策緩和――が、業界にとってのエポックだったと考えられる。これらに適切かつ有効な対応、とりわけ供給過剰解消対策が打ち切れなかったことに、すべては収れんされるであろう。