産業ガス大手のエア・ウォーターはデジタル&インダストリー、エネルギーソリューション、ヘルス&セーフティー、アグリ&フーズ、グローバル&エンジニアリングの5領域でグローバルな 事業展開を行っている。国内鉄鋼メーカーが脱炭素に向けて設備投資を加速する中、産業ガスメーカーとしてどう向き合うか。「北米・インドが最重要戦略エリア」と語る松林良祐社長に直近の取り組み、方向性を聞いた。
――産業ガス部門で現在注力している分野は。
「産業ガスはすそ野が広い。鉄鋼業向けをはじめ、さまざまな産業に食い込んでいる。窒素や酸素、アルゴンなど産業ガスとして供給する製品のポートフォリオはあまり変わりないが、ユーザー側の求める製品 が変わる、あるいは需要の変化に合わせて当社も技術開発を行い注力する分野を変えてきた。今後は水素分野に注目している」
――次世代エネルギーとして期待される水素はどのように扱うか。
「産業ガスメーカーとして、国内サプライチェーン(供給網)を持っているというのが強みだ。物流・供給網を生かせる事業として成長させたい。そういう意味では、海外で製造された水素を国内に持ち込むというよりは、国産化に期待し地産地消で入り込んでいく」
「一方で期待しているのはモビリティ分野だ。トラック・バスなどの商用車用の水素は、必ずしも沿岸地域に需要があるとも限らず、ガスのディストリビューション(流通)が必要になってくる。当社の強みを生かせる部分であり、技術で差別化できる。国産の水素を地域で使っていただく。水素に関してはそういうところを伸ばしたい」
――鉄鋼分野はどうか。
「今後、鉄鋼メーカーが鉄を還元する工程で水素ニーズはある。輸入した水素を大量に使う選択肢はあると思うが、一方でコークス需要がゼロとはならず、一定程度の需要は継続する。そこで、われわれが提供できるのは炭酸ガスの回収技術だ。また、コークス炉から多くのガスが生成されるが、副生として水素も出てくる。炭酸ガスも水素も、回収してもう一度使用することや別の産業に生かせるように技術開発を加速させたい」
――これまで築いてきた供給網を生かす。
「物流分野ではそうだ。例えば、水素はガス状の高圧水素で運んでいるが、今後需要が伸びてきたときにガス体では供給が間に合わない。別の形で運ぶとすれば液化は避けて通れない。それは国内で新たにやらないといけない。一方、先行して米国では液化技術開発を進めている。輸送面では水素用機器の開発は終了し、販売を開始している。タンクやトレーラーなど移動式ステーションのような形で液化水素を使用する部分では事業化できている。水素液化技術も自前でやりたい」
――米国で水素液化技術を先行した経緯は。
「元々米国の水素は液化が主流で、ガスの水素はあまり流通していなかった。なぜならエネルギーの価格が圧倒的に安価という背景がある。水素を液化するのは大量の電気を使用するが、日本では電気代が高くコストが合わない。一方、米国は電気代が安い上、物流の量も多い。とくにカリフォルニア州などで水素燃料電池車(FCV)が普及してくると、日本より先にマーケットが立ち上がると想定している」
――米国での液化水素の事業化は。
「運搬や供給用の機器は事業化しているが、米国でも脱炭素に向けた水素需要はこれからだ。当社の想定では2028年ごろと見ており、そこに向けて投資する準備を進めている」
――日本より米国が先か。
「そう思う。仮に日本のマーケット環境が先に整うなら日本でやりたいが、エネルギーコストは日本が高いうえにグリーン電力をどう確保するかという問題もある。米国で事業化を先行させ、技術などを国内に持ち込みたい」
――米国で行う水素開発事業のグリーン電力の供給源は。
「水の電気分解装置になる。装置メーカーから調達する。水素の液化技術は欧米の産業ガスメーカーしか持っていないので、自前で開発する。ガスの流通はわれわれ自身で技術を抑えておかないと競合に勝てないからだ。日本に導入するとなれば小回りが利くことが条件となるので、(液化輸送技術は)自前にこだわりたい」
――投資額はどうか。
「液化水素供給を事業化するには数百億円規模となる。水素価格を政府は1立方㍍当たり30円を目指すといっているが、それぐらいの規模感でやらないとコストも下がっていかないのでは」
――米国と日本の水素における補助金事業などは。
「米国はインフレ抑制法(IRA)の中で補助が設定されている。ただ、条件が厳しい。最近のグリーン電源でないとNGとか、カリフォルニア州の例では域外の電源はNGなど制約がある。日本でも『水素社会推進法』で値差保障に近いものがあり、社会実装を後押しするような補助・施策がある」
――自動車メーカーとの協業は。
「直接はあまりないが、現在米国でやっている事業は、水素供給はわれわれが行うということ。水素を燃料とする自動車、商用車が早く立ち上がることを目指して、米国の水素燃料補給ソリューションのトップオペレーターであるファーストエレメントフューエル(FEF)に出資している。そこにはホンダなども出資している」
――ところで、鉄鋼業界との関わりは深い。
「鉄鋼業界は最大の需要家であり、鉄鋼メーカーの方針にアジャストして、当社が供給する産業ガスを使っていただくのは事業の根幹だ。国内、海外問わず、ガスを供給していく」
――グローバルではインドの鉄鋼需要が伸びている。
「インドは鉄鋼需要の伸長に伴い、高炉が立ち上がってくるので、産業ガスとして成長が見込める大きなマーケットだ。インドの高炉向けの産業ガス供給案件は獲得していくべき需要になる。総額で約600億円を投じる計画だ。当社は2013年にインド事業に参入、2019年に大手産業ガスメーカーの既存事業の一部を取得し、その時に鉄鋼大手4社のうち、タタ製鉄とJSW向けのガス供給を獲得した。ほかの鉄鋼メーカーに早く食い込んで、インドで大手4社すべてに産業ガスを提供できる形になれば、インドで競合する業界大手の独リンデに伍していける。受注獲得は大きなテーマになっている」
「こうした中、昨年はSAILのドゥルガプル製鉄所向けオンサイトガス供給案件を受注した。4社のうち3社まで広がり、あとは1社を残すのみだ。」
「高炉向けオンサイトは1基100億円超の規模の投資。それが現在追いかけている案件で4-5件ある。市場の大きさは米国だが、成長スピードはインドに分がある。米国は新たな製品・サービスを開発する場として、プラス参入できるところには参入したい」
――東南アジアの産業ガス市場はどうか。
「東南アジアは注視していくべき市場ではあるが、個々の市場規模は小さい、小さい割には寡占化しており参入しにくいが、ベトナム、タイは大きな市場となり得る。ベトナムはビナ・キョウエイ・スチール社(VKS)向けにオンサイト供給を行っている」
――目指すべき方向性は。
「世界の鉄鋼メーカーの方針にアジャストする。脱炭素に向けて省エネを進めるなどの投資は出てくる。また脱炭素を進める中で高炉から電炉転換になれば、ガスの消費形態は変わり、酸素の割合が増える。今度電炉になった時に鉄源は大きなテーマになる。直接還元鉄(DRI)のプロセスでは酸素が必要であり、チャンスを捉えたい」
――ところで、昨年初めてJFEスチール東日本製鉄所・千葉地区から初めて受注した。
「会社規模が大きくなり、信頼を頂けたことが大きい。また省エネの取り組みをご理解いただけたと認識している」
――省エネ技術とは。
「空気分離装置で電力を最も使用する部分というのが原料の空気を圧縮するための動力。空気の量をできるだけ少なくできれば電力代は下がるし、プラントも小さくできるなどコスト面で優位性があり脱炭素にもつながる。空気分離装置の原理は古くからある技術であり、改良によってプロセスが大きく変わるものではないが、電力の消費量が大きいので、1%見直すだけでもコスト削減になる。空気分離装置の内部はマイナス180度程度の低温で、酸素と窒素に分離する。一番の損失は外気熱。それを如何に遮断するか。また外の空気は常温だが、装置の中で低温にする。製品ガスも常温になる。入口と出口が常温だが、中で一度熱を下げるので、熱交換の効率を高めると、エネルギー効率化が図れる。そういう細かい部分で省エネ技術力を発揮している。今後新しく建設するプラントでは使用する電源にグリーン電気を使っていきたい」
――今後、使用する電力もグリーンに。
「インドでは現在チェンナイにプラントを建設しているが、3分の1は太陽光発電で賄う。国内では徐々にグリーン電力に切り替えていく。自前でやれるところはやっていきたい」
「現在、国内でバイオマス発電事業を行っており、FITで売電しているが、FITも期限が来る。将来的な電力調達コスト上昇を見込んで、バイオマス発電したものを託送なり自社電力に置き換えてグリーン化することを考えている」
――新事業に向けてのテーマは。
「北海道ではバイオメタンなど新しい需要を立ち上げていく。電力のグリーン化と炭酸ガスの回収、再利用で事業化を目指したい。今後エネルギーや資源の価格は上昇していく。リサイクル分野でも新規需要が出てくる。リサイクルできるものは新たに立ち上げたい」
「産業構造が変わり、高炉が減り石油化学プラントも縮小する動きがある。従来、産業ガスのソース(調達先)は縮小している。従来はアルゴンが製鉄所から出てきたが、ガスの使用量が減るとアルゴンも少なくなる。一方、半導体は国内回帰して、次世代半導体工場が立ち上がって来れば、アルゴンの使用量が伸びる。近年はリサイクルしてもコスト的に変わらない状況となってきたので、希ガスの回収再利用というビジネスモデルが出来てくると思う。ガスは密度が低いので、元々長距離輸送に向かない。回収できるものは回収し、希少価値が上がってくるもの(クリプトン、ネオン、キセノン)は海外高炉から輸入するなどの手立てはある」
――三井物産とはグローバルで協業している。
「海外事業は投資額が大きくなる中で、総合商社の知見とネットワークを生かしていただいている。当社からアタックする顧客がすでに三井物産の取引先だったということもしばしば。逆に仕入れ先に対して当社は技術を売りにするなど、双方にとってメリットはある。例えば米エア・ウォーター・アメリカには三井物産からも出資していただいている」
――三井物産とはビジネス上、長い付き合い。
「当社は三井化学大阪工場にオンサイトで産業ガスを供給しているが、最初に連携した商社が三井物産だったということ。特にヘリウム事業はJVでやっている。天然ガスの副産物であるヘリウムが産出されるのは中東やアフリカ、米国。そうした国から輸入を担っていただき、国内で当社が運ぶといった事業だ。すでに50年以上になる。きっかけは米国で産業ガスをスタートする際に、三井物産も米国で大きな事業を行っており、その中で産業ガスを利用するビジネスが多くあり、そういうところに新たな付加価値を提供したりしてきた」
――鉄鋼メーカーの電炉化は好機か。
「チャンスと捉えている。電炉メーカーは製鉄の過程で窒素をあまり使わない。高炉はオンサイトの空気分離装置を置くと、窒素や酸素を大量に使用していただけるので、効率が良いが、電炉は酸素に偏っている。当社には酸素PSAという装置があるが、吸着技術を使い、空気中から酸素を抜き出す。そうすると、ガスのまま酸素が出てくるので、コスト面でメリットがある。ただ、あまり高純度ではなく、純度は93%程度。低純度の酸素を安く供給できる。国内産業ガスメーカーでは当社のみ扱っている。海外で産業ガスメジャーといわれる企業は保有しているが、比較的新しく、参入のチャンスがある。ぜひ、高炉メーカーが導入を進めている電炉向けにも参入したい」
――酸化マグネシウムの市場シェアも高い。
「高級品のシェアは高いと自負している。とくに世界最高水準の電磁鋼板用酸化マグネシウムはグループ会社のタテホ化学工業が製造している。方向性電磁鋼板は品質要求が高く、タテホ化学の品質は日本の高炉メーカーが要求する品質に見合う。高炉メーカーが電磁鋼板事業を海外展開することで当社も事業拡大のチャンスと捉えている」
――期待する技術開発は。
「期待しているものとして、工業炉で使用する燃料(油)は炭酸ガスを大量に出す。ここも脱炭素の要求が高い。アンモニアの混焼や専焼について、炉の複数メーカーとコンソーシアムを組んでクリーンアンモニアの技術開発を行っている。アンモニアは海外で製造して輸入する方が安価。国内の流通問題があり、当社が担っていく。アンモニアに熱を加えるにあたり、炉の排熱を使用して燃焼させるが燃焼温度が高くないため、炉で使われるときに温度を上げようとすれば、アンモニアが一部分解して水素アンモニアの混合ガスにするなどの技術開発を行っている。当社にとっては新しい需要になるとともに、脱炭素は待ったなしとの認識で取り組む」(菅原 誠)