JFEホールディングスはきょう27日、発足から20周年を迎えた。NKKと川崎製鉄が2002年9月27日に統合し、翌03年4月1日に事業会社としてJFEスチール、JFEエンジニアリング、JFE都市開発、川崎マイクロエレクトロニクス、JFE技研を設立。両社の技術を融合し、鉄鋼事業においては製鉄所の高効率の運営で品質・コスト競争力と収益力、さらに海外への展開力も向上させ、国内外の市場で存在感を高めてきた。リーマン・ショック、東日本大震災と危機を乗り越え、世界的な能力過剰による鉄鋼不況や新型コロナウイルス禍の苦境に耐え、変化への対応力を増す強い企業グループへと変革を進める。カーボンニュートラルに向けた取り組みも加速し、新たな成長に向かう同社の柿木厚司社長にこれまでの歩みと次の20年に向けた展望を聞いた。
――20年が経ちました。
「統合したのが、ついこの間のように感じる。ゴーンショックが直接的なきっかけとなったが、それ以前から川上は資源会社が集約し、川下は自動車会社が系列化して、鉄鋼メーカーの価格交渉力が弱まり、収益が低下していた。統合推進委員会の人労部会に入り、当然ながらいろいろとあったが、統合そのものはスムーズに進んだ。委員会の初日に江本さん(江本寛治・川崎製鉄社長)と下垣内さん(下垣内洋一・NKK社長)が統合の基本方針として『人事は公正にして適材適所に』、『新会社の利益・発展のみを願い、合理的かつ公正に全ての判断・行動を』と述べられ、その時は当たり前のことと思ったが、統合作業の中で壁に当たった際に理念がより所となった」
――統合作業は苦労が多かったのでは。
「それぞれ独特の社内言語があり、定義も異なり、苦労はしたが、両社ともに危機感が強かったので融合はスムーズだった。高炉を両社合計11基から2基止めて9基に減らしたが、危機感を共有していたので物事は比較的早く決まっていった。『交流人事』を行い、製鉄所のラインの部長を西日本製鉄所の倉敷地区と福山地区、東日本製鉄所の京浜地区と千葉地区で同じ部署の、製鋼なら製鋼の部長を入れ替えた。基本3人セットで異動することにし、それぞれの優位性をいち早く移転した。転炉でも操業技術が違い、福山の技術の方が良いとなれば倉敷に移せばよいとなるが、人が変わらないとうまく進まない。交流人事であれば移った社員が自分で技術を移すことになり、各部署での優位技術の移転は大きくプラスに作用した」
――統合の話を聞いた時の最初の印象は。
「本当に統合するのかと驚きはあった。特に営業関係の社員は否定的な方が多かった。営業は日々、戦っていたからだろうが、両社で240ほどの部の重複を全てなくすということで160程度にする際に営業や管理部門を多く減らしたことも関係したと思う。製造関係は互いに製鉄所が近く元々、交流しており、製鉄所は部署がさほど大きく変化せず、それほどの抵抗感はなかったようだ。グループ会社についても統合前後の3―4年の間に80数社が50数社となり、同じ機能を持つ会社は全て一緒にするという原則の下に統合を進めた」
「統合後、人事部長を7年ほど務めたが、交流人事は人事評価の透明性、公平性にも成果を上げたと言える。倉敷と福山で入れ替える際に旧川鉄の上司が旧NKKの部下をみる、そのまた逆もあり、例えば次の製鋼部長を選ぶ際に上司は面倒をみている旧NKKの部下と以前の旧川鉄の部下とを真剣に比べて考える。同じ部門の部長同士の意見交換もあり、公平な評価につながった。交流人事は融合が速く進んだ要因の一つと思う。04年頃から中国経済が成長を続け、鉄鋼市場が活気づき、大きな収益を得ることができた。統合時に賃金を高い方に合わせ、その後業績連動で賃金が上がった。人事面などいろいろな仕掛けが功を奏し、統合効果を発揮したが、外的環境もよく、すべり出しは順調だった」
――08年にリーマン・ショックが世界を覆う。
「業績が09年に落ち込み、先が危ぶまれたが、新興国の牽引もあって立ち直りは比較的早かった。その後に東日本大震災が起き、11、12年と再び厳しい状況を迎えた。13、14年に市場は改善に向かったが、私がJFEスチールの社長に就任した15年は世界的に鉄鋼設備の余剰問題が大きくなり、中国が内需と生産のアンバランスで鋼材を1億トンほど輸出し、国際的に鉄鋼需給が崩れ、非常に厳しい時期だった。その頃の日本鉄鋼業、特にJFEは生産設備の老朽化のピークを迎え、収益が上がらない中で老朽更新投資を進めなければならなかった。製造実力の基盤整備活動に取り組み、原資がない中で遊休資産や有価証券を売却した。17、18年は中国の設備廃却が進み市場が好転したが、19年は米中貿易摩擦が激化し、国内は消費税増税もあって後半に失速。20年に市場の回復を見込んだがコロナ禍に襲われ、20年4―6月期は需要が急減し、緊急対策を迫られた。年度後半に需要は回復に向かったが、21年度は半導体不足や部品供給制約で自動車生産が減少した。統合からリーマンまでの数年間は良好な時期だったが、それ以降はかなり変化の激しい時代を過ごした」
――00年代には東南アジアでの製鉄所建設を検討したことも。
「ベトナムやフィリピンで事業化調査を行ったが、鉄鋼業はその国の政治事情などに左右される要素が大きく、単独で建設・運営するのはリスクが大きい。東南アジア諸国は内需が小さく、輸出せざるを得ない状況でもあった。冷延やめっきなど下工程の垂直分業は海外で行ってきたが、単独での製鉄所建設はリスクが大きいので断念した。成長する市場に入っていくために考え、形になったのがインドのJSWスチールであり、ベトナムのフォルモサ・ハティン・スチール(FHS)だった」
――2010年度以降の原料価格の変化も鉄鋼業に大きな影響をもたらした。
「鉄鉱石や原料炭のボラティリティがこれほど高くなるのは、一つは中国の粗鋼生産が増え、今や10億トンも造るようになったことに起因する。20年前は鉄鉱石価格がほぼ一定で原料コストが見通しやすく、ある程度の利益を確保することができたが、今は原料炭の価格がトン526ドルから3カ月で280ドルに下落するなど、かつてない事態が生じている。コストの変動を早期に販価に反映させることが重要だ」
――JFEエンジニアリングとJFE商事も改革・成長を続けた。
「エンジは、スチールと同様に単体でホールディングスの事業会社とした。00年代前半は苦労したが環境やリサイクルの分野でのEPC事業だけでなく、官民からの委託による運営型事業に大きく比重を移し、21年度は260億円の利益を上げ、三井E&S環境エンジニアリングの株式取得などM&Aにより事業の強化を続け、30年度に売上高1兆円を計画するまでに成長した。陸上風力で多くの実績を持ち、今後は洋上風力を新たな事業の柱にしていく。洋上風力は倉敷の大単重厚板を使用して大型のモノパイルを製造するのでグループのシナジーを生かす。環境やリサイクル関連の事業を大きく伸ばしていきたい」
「JFE商事は鉄鋼商社としての機能を考え、スチールの子会社とした。スチールの電磁鋼板戦略と軌を一にして電磁鋼板の加工事業を世界で展開し、米国で鋼管販売子会社のケリー・パイプの事業を大きくし、最近では米国の薄板建材の企業を買収してさらに事業を拡大しようとしている。鉄鋼以外の食品やバイオマスなどの分野にも力を入れており、意思決定を速め、経営資源をグループ全体で共有することを考えて12年にホールディングスの事業会社とした。商事はエンジとのつながりがさらに重要になる。エンジのバイオマス発電向けにバイオマスの輸入・商流を手掛けているが、洋上風力に関しても厚板供給やロジスティックスなどの分野は商事の仕事となり得る」
「メンテナンスの部品の手配なども商事が関連する。エンジは陸上風力で130基ほどの実績があり、メンテナンス業務も行っている。スチールの子会社もエンジの要請を受けて一緒に取り組んでいる。JFEテクノリサーチは陸上風力の構造物の腐食調査、JFEメカニカルは陸上風力の電気機器のメンテナンスを手掛けており、スチール、エンジ、商事が一緒になってオペレーション&メンテナンスの組織を作り、知見を得られれば将来的に可能性がある。浮体式やSEP船(作業船)はJMUが得意であり、かなりの範囲の技術はグループで対応できる。総合力を発揮できる有望な領域だ」
――中期計画2年目の22年度、さらに23年度の鉄鋼市場をどうみるか。
「外部環境は読みにくいが、中期計画で掲げている『量から質への転換』の方針は変わらない。23年度に京浜地区の構造改革をしっかりと仕上げる。固定費を含めたコスト削減を進め、技術開発力で高品質の製品を造り、価値を認めてもらう販売価格政策を進めることに邁進する。中期計画初年度の21年度の業績は棚卸資産評価益もあるが、鋼材トン当たりの利益が1万6000円程度と構造改革完了前の段階でできすぎと言える。22年度は環境が激変し、厳しい状況だが乗り越えなければならない。進んでいる方向は間違っていない」
――23年度に京浜の上工程を休止する。
「18―20年度の第6次中期計画の時は内需が減少することはわかっていて品種構成の高度化を当然考えたが、4つの製鉄所をフルに稼働させ、粗鋼3000万トンを目指し、汎用品については東南アジアなど海外市場に輸出することでコスト競争力を発揮できるとみていた。一方で中国の動向を受け、適正な生産規模がどの程度かを考える必要が17年頃から高まっていた。東南アジアで中国製の製鉄所が立ち上がる計画が出始め、鉄鋼の地産地消が進むと予想された。当社は原資を稼ぎながら設備更新をしなければならないことを考えた時に高炉を1基休止し、単独の粗鋼生産能力を400万トン減らして2600万トンとするのが適正規模と判断し、構造改革を決めた」
――次の20年に向けて取り組む課題は。
「成長戦略をどう描くかだ。技術開発は重要になるが、大きなテーマは海外だ。インドのJSWと検討を進めている方向性電磁鋼板の共同製造販売会社の設立は早く結論を出したい。FHSは能力を増やすとしてもCNとの関係から高炉あるいは電炉など選択肢を考え、冷延以下の設備が必要になれば合弁など考えるが、これはFHS自体の戦略次第だ。米州はニューコアと合弁の自動車用鋼板製造会社ニューコア・JFEスチール・メキシコがこれから本格的に立ち上がる。出資先のカリフォルニア・スチールの株主がヴァーレからニューコアに移り、一緒に運営している。米国市場は鋼材価格が比較的高く、人口も増えており、ニューコアの高い製造実力と市場の力、当社の技術力を合わせて次の一手を考えたい。ニューコアとは互いの経営資源を補う関係にあり、検討する価値は高い。先行して開発したCNの技術はソリューションビジネスとして海外に展開する。自社のCO2削減とともに開発した技術を外部に販売することで世界のCO2削減に貢献するとともにビジネスとしてチャンスを捉える」
――グリーン鋼材への取り組みは。
「まずはグリーン鋼材の定義が重要になるが、グリーン鋼材市場は一定の価格で取引される必要がある。鉄鋼業にとって今の鋼材価格ではカーボンニュートラルの対応は困難となる。電力など他の産業界も同様だ。鉄鋼業は基礎素材として供給責任を重要視してきたが、これからは2050年のCNと30年のトランジション期間を踏まえると、ある一定の収益がなければ投資ができず生き残れない。CNの開発には莫大な投資が必要となり、鋼材価格の上昇は避けて通れない」
――電炉の積極的な活用などCNの対策が具体的してきた。
「水素還元製鉄やカーボンリサイクル高炉の技術の確立には時間を要する。30年までは電炉などトランジションの技術の価値は高く、倉敷地区の高炉1基の電炉への切り替えを決めた。高炉と同等の品質・生産性を電炉でいかに実現するか、倉敷の第2高炉の改修まで5―6年ほどしかなく、早期の開発を期待している。この10年ほどは中国の鉄鋼メーカーが巨大化し製造コストを下げ、国際市場を握るという流れにあったが、今後世界の鉄鋼業はCNの鋼材の製造が使命となり、どういう方法で造るのか。CNの取り組みが鉄鋼業の姿を変えていく。企業間の競争があり、協調もあり、CNは世界の鉄鋼地図の塗り替えが進むキーになる可能性がある」
(植木 美知也)