ウエディングプランナーから鉄スクラップ業界へ――。なかなか結びつくことのなさそうな世界へ飛び込んだのは、総合リサイクルのこっこー(本社=広島県呉市、槙岡達也社長)管理本部管理部システム開発グループのグループリーダー、松本麻衣子さんだ。2012年に入社し、企画を考えるのが好きという特技を武器に、会社の中でさまざまな提案を形として実行している。入社の経緯やこれまでの業務内容などについて聞いた。
――入社までは。
「大学卒業後はウエディングプランナーとして働いていました。学生時代は特別目指しているものがなく、過去の人生を振り返ったときに、初めて参列した結婚式を思い出したんです。当時は中学生で、レストランウエディングでした。専門の式場でなくても、設備が整ってなくても、一から式ができるんだと驚きましたね。プランナーの方々が輝いて見えたのを今でも覚えています。小学生の時から企画委員会に所属するほど何かを作り出すことが好きだったのもあり、プランナーができるウエディング会社へ就職しました」
――鉄鋼業界へ飛び込んだきっかけを。
「広島市で勤務していたのですが、もともと呉市出身で、祖母が元気なうちに地元へ帰って生活面などを手伝いたい、という気持ちが強くなったんです。なかなか休みが取れず、友人や親戚とあまり関われなくなったのも心配で。プランナー時代に見積書や進行表の作成、受発注などの事務を担当していたこともあり、ハローワークでこっこーの事務の求人を発見し、『経験が役に立ちそう。縁の下の力持ち的な仕事ができそう』と思い応募しました。正直なところ、地元企業ながらこっこーの存在はその時に初めて知りましたね。鉄のことも全く分からない状態でした」
――入社後は。
「2012年に入社したのですが、当時は建て替え前の古い工場が敷地内にあり、『すごい世界に来てしまった…』という気持ちになったのを覚えています。いざ働き始めると、重機やトラックが目の前を行き来する姿、積み荷の移動や加工時の音の迫力がすごくて。さらに自分の生活にとても関わりがあると知るなど、感動の連続でした」
――これまでの業務を。
「最初は一般職として管理本部総務グループに配属されました。以降、採用や社員教育、庶務、情報システムグループ、財務グループと、とても幅広く業務を担当させてもらいました」
――驚いたことは。
「女性社会から男性社会の業界と、ある意味全く違う世界へとやってきて、びっくりすることだらけでしたね。肩身が狭いわけではありませんが、古い雰囲気を感じました。例えば、来客時のお茶入れや電話対応は、いくら男性社員の手が空いていても女性社員が行うものという風習が日常化していて。業界全体なのか会社としての文化なのかは分かりませんが、とても気になりました。また入社当時、女性の先輩社員は結婚や出産を機に退職されている方が多かったんです。子供ができたらフルタイム勤務は厳しいのではないか?と強く感じました。でも中途入社の女性社員が増えるにつれ、その雰囲気はなくなっていきましたね。現在は20―60代まで幅広い世代の女性社員が在籍しています」
――印象的な思い出を。
「昨年、設立70周年を迎えたのを機に、社史と社員向けの記念品を一人で担当させてもらいました。60周年の際は社名変更を行い盛大な行事も予定していたのですが、東日本大震災の発生に伴い、記念事業行事の予算は全て寄付することにしたんです。70周年では、新型コロナウイルス禍で大掛かりな行事はできないけれど、何か形に残るものをと思っていました。そんな気持ちで書庫を整理していると、社内の写真や資料がたくさん出てきて。企画好きが高じて、『社史を作りたいです! 私がやります!』と提案しました。本来はメンバーを集めて話し合ってできれば良かったのですが、コロナ禍ということもあり、一人で担当することに。いろんな人が見やすいと感じていただけるよう、写真をたくさん入れて、ほとんどのページをカラーにしました。また創業当初からお付き合いのある日本製鉄瀬戸内製鉄所呉地区の写真も入れています。23年9月末で閉鎖する方針を出しているのですが、多い時には社員約150人が製鉄所内で働くほど、こっこーは製鉄所あっての会社。とても大事な事業拠点なんです。どうしてもその姿、歴史を記録に残したいという気持ちがありました。許可をいただいた上で、製鉄所内で働く社員の写真を一人一人撮影し、残すことができてうれしかったです。記念品に関しては社長の発案で、総合リサイクル業なら『資源リサイクル』に関連する品がいいのではという話に。プロ野球や社会人野球、大学野球で折れて使えなくなった木製バットを箸に再生している企業を見つけ、そちらに会社ロゴなどの入ったマイ箸を作っていただきました」(芦田 彩)
鉄鋼業界で活躍する女性をはじめとした多様な人材、未来を担う人材を、随時紹介していきます。