2020年10月27日
「道をゆく わが歩みと未来への提言」中部・特集 宮崎精鋼会長 宮﨑薫氏 子会社立て直しに奔走
――宮﨑会長は1970年に大学を卒業され、実父の経営する宮崎精鋼(本社=名古屋市)に入社されました。
「ちょうど大阪万博の年。その2年前の68年に冷間圧造用鋼線の専門工場である知多工場が操業を開始した。東京オリンピック後の不況を脱して上り調子。しかもモータリゼーションが非常に活気を帯びてきた頃だった。当社が本社工場で冷圧用鋼線の生産を開始したのは58年。手掛けたのは磨棒鋼メーカーの中では一番早いのではないかと思う。57年に、兄が創業者である親父に命ぜられて大学を卒業したその年に、特殊鋼二次加工設備の研修でドイツに行っている。その情報を基に、ドイツ・シュマーグ社のコイルツーバーの連続引抜機とセンタレスグラインダー、マルメデイ社の伸線機を購入し、翌年にそれらが設置された。磨棒鋼はそれまで太物も細物もほとんどドローベンチで製造していた。だから生産性が非常に悪い。シュマーグ社のコイルツーバー引抜機は画期的な生産性を誇り、しかも表面肌、品質も非常によかった。他社と同じ値段で売れば相当競争力があった。それからマルメデイ社の伸線機の導入。これが冷圧用鋼線の始まりだった。それで同時にポット炉を購入し、熱処理もできるようにして、58年から本格的に冷圧用鋼線として提供するようになった。もう62年も前だから古い方だ」
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