モビリティー分野や医療分野は大きな変革期を迎えている。金属を含む素材産業がこの変革に対し、いかに貢献できるかが注目されている。産業技術総合研究所(産総研)はこれまで、革新的な技術シーズを民間企業の事業化につなぐ「橋渡し」の役割を担ってきた。そこで、産総研の理事長の石村和彦氏に、日本の素材産業の展望や産総研の取り組みについて聞いた。
――日本が抱える素材産業の課題と展望を。
「今後、日本が世界で勝ち残るためには、金属を含めた素材・材料分野の研究開発がますます重要となってくるだろう。材料技術は社会に実装されるまでに時間がかかる。チタンは材料開発から社会実装されるまでに非常に時間がかかった。日本の企業はかつて、ロングレンジの開発ができた。だからこそ、日本はチタンにおいて最高の技術力を持っている。このような事業は、アメリカ型のビジネスでは難しい。昨今、デジタル分野で研究が進むが、この分野はまねをしやすい。ところが、材料分野は生産プロセスや製造設備まで含めた観点から見ると、ブラックボックス化できる。生産プロセスや製造設備を含めて徹底的に差別化すれば、日本の素材産業はもっと強くなるのではないか。産総研には、材料分野の研究領域だけでなく、製造プロセスや設備の研究開発を担うエレクトロニクス・製造領域がある。各領域の融合により、カーボンナノチューブの開発につながった」
――第5期中長期計画がスタートしたが。
「第4期中長期計画では、革新的な技術シーズを民間企業の事業化につなぐ『橋渡し』を行ってきた。民間企業と産総研との連携プロジェクトを企画・調整・立案するイノベーションコーディネータを配置するなど取り組みを進め、組織全体で100億円を超える民間資金を獲得する成果を上げた。今中長期計画では、産総研が担うべき『橋渡し』の役割を引き続き強化するとともに、社会課題の解決に向けて取り組みを進めたい。解決すべき社会課題とは、環境・エネルギーや少子高齢化、インフラの強靭化に関するものだ」
――環境・エネルギー分野の課題は。
「2011年以降、日本のエネルギーは化石燃料に依存している。その中で、ゼロエミッションに近づけるためにはイノベーションが必要だ。本年、ゼロエミッション国際共同研究センターが発足した。各機関が持つ英知を集結して世界の課題解決にあたるものだ。産総研としても、材料分野、エネルギー分野、AI(人工知能)など各領域を融合してゼロエミッションに関する課題の解決につなげていきたい」
――少子高齢化に関する課題とは。
「少子高齢化に伴い労働人口は減少するだろう。今後、少ない人数でいかにアウトプットを出すことができるかが非常に重要になってくる。また、新型コロナウイルスの感染拡大がトリガーとなり、この分野の改革は加速していくのではないだろうか」
――自然災害の甚大化に伴い、インフラの強靭化が求められている。
「日本は去年、自然災害の被害を最も受けたという。自然災害の規模は今後大きくなっていくだろう。一方、日本のインフラは高度経済成長期に作られたものを含め老朽化しているものが多い。インフラをいかに測定・評価し、補強できるかが重要になってくる。産総研では、橋梁をテストハンマーで調べなくてもひずみを検知できるシステムを開発している。こういった技術を企業に『橋渡し』し、社会実装していただくことでインフラの強靭化につなげていきたい。また、産総研のユニークな取り組みとして、地質図の作製がある。1882年に産総研地質調査総合センターの前身である地質調査所が設立されて以来、現在に至るまで一貫して地質の調査に取り組み、地質図を整備してきた。地質図は土地の利用、災害防止、資源の探索、学術資料、環境対策など、幅広い分野で活用されている」
未来へ見出す活路 素材産業の行方 研究基盤整備で変革加速
モビリティー分野では自動車のCASE(コネクテッド、自動運転、シェアリング、電動化)に代表されるように100年に一度の大変革期を迎えている。また、新型コロナウイルス感染症の拡大に伴い、医療分野も変革が求められている。革新的な技術シーズを民間企業の事業化につなぐ「橋渡し」の役割を担う産業技術総合研究所(産総研)の理事長の石村和彦氏に、各分野の展望と産総研の取り組みについて聞いた。
――モビリティー分野のCASEの動きをどう見るか。
「CASEの流れは世界的に加速していくだろう。電気自動車の普及に伴い、モーターの効率が重要になってくる。永久磁石の性能がモーターの効率を左右するため、材料開発が非常に重要な課題となるだろう。また、自動車のみならず、モビリティー全体の話となると、軽量化も当然必要性となってくる。産総研では、アルミニウム合金より軽いマグネシウム合金の研究を進めている。2018年には開発した難燃性のマグネシウム合金を使って、プロジェクト参画企業と共同で、新幹線車両と同一断面サイズの高速鉄道車両部分構体の試作を行った。今後、長尺の車両構体の試作や性能評価試験を進め、新幹線などの高速鉄道車両への本格適用を目指す」
「コネクテッドや自動運転に関しても、通信技術や人間工学など領域を融合させた研究を行っている。自動運転からマニュアル運転に切り替える時の安全性などを調査している。自動車のテストコースもあり、トラックの隊列走行実験などを行った。そこを使いテストを行う企業もある。そういった、企業への研究の『橋渡し』だけでなく、研究基盤の整備も社会課題解決に向けて必要だと感じている」
――生産現場では省力化、省人化の取り組みが進むが。
「いかに少ない人数でアウトプットを出せるかが重要だ。それによって、世界と戦うことができるかが決まるとみている。ドイツではインダストリー4・0の取り組みが進んでいる。ほかの分野にも共通するが、新型コロナ禍の問題により、この分野の研究開発は加速するとみている。産総研は日本の製造業の革命につながる技術開発を行っている」
「ミニマルファブという超小型なデバイスの生産システムがある。小さな半導体製造に適した装置で、局所クリーン化搬送システムによりクリーンルームが不要といった特長がある。これまでの半導体の製造プロセスは、超大型のクリーンルームを使うことで歩留まりを上げてきた。しかし、ミニマルファブは局所クリーン化搬送システムを持ち、システム全体を標準化したことで歩留まりが100%となった。世の中を変える可能性があるシステムだとみている」
――金属リサイクルの取り組みにも注目が集まっている。
「日本はほとんど金属資源が出ない。コロナウイルスの問題でサプライチェーンを含めリサイクル技術は重要性を増すだろう。現在、アルミに関しては高度循環技術を開発している。再生アルミ材は不純物が混入するため、低品位材には再利用されるが、展伸材には再利用できない。そのため、スクラップの高度選別や溶解工程での不純物元素の除去、鋳造・加工熱処理工程の技術を確立するなど、展伸材に利用可能な再生アルミ材料の開発を進めている」
――医療分野も変革期を迎えているが。
「医療分野の変革は新型コロナの影響により加速するとみている。今までやらなくてはならなかったが、できていなかった遠隔医療などの技術開発が一気に進むのではないか」
「産総研は、ABCIというAIに特化したクラウド型計算システムを運用している。このシステムを新型コロナに関する研究を支援するために無償提供している。われわれの研究の基盤を共通のプラットフォーム化することで開発イノベーションを加速させる取り組みを今後も進めていく」
――4月から産総研の理事長に就任したが意気込みを。
「産総研は幅広い分野の研究開発を行っている。産総研の力が社会に生かされることが、日本にとって非常に重要だと感じている」
(玉光 宏、鈴木 大詩)
▽石村和彦(いしむら・かずひこ)氏=79年東大院卒、旭硝子(現AGC)入社。00年旭硝子ファインテクノ社長、04年AGC関西工場長、06年執行役員、07年上席執行役員、08年代表取締役兼社長執行役員COO、10年代表取締役兼社長執行役員CEO、15年代表取締役会長、20年4月から現職。趣味は囲碁。座右の銘は「人は力なり」。54年9月18日生まれ、兵庫県出身。