2019年4月3日

インタビュー 時代の架け橋 2050年に向けて 2019年、新時代へ ■日本総合研究所・寺島実郎会長(上) 新しい産業モデル創出へ/構造変化見据え発想の転換を

寺島実郎会長
――日本を取り巻く環境は大きく変化している。産業界が2050年に向けて持続的成長を実現するための現状認識から。

「結論を申し上げれば、産業に対する発想の転換、パラダイム転換を行わなければ、日本の産業界の展望は拓けない。戦後、日本は鉄鋼、エレクトロニクス、自動車の三大産業を育成し、外貨を稼いで国を豊かにしようと励んできた。戦後日本の成長のエネルギーを支えたのは、工業生産力モデルの優等生としての日本だった。昨年末、ニューヨークのタイムズ・スクエアに立って、その変貌ぶりに驚いた。かつては広場を取り巻く広告の多くが日本企業だった。それらがすべて消えて、中国の新華社通信、韓国のSAMSUNG、HYUNDAIなどのネオンサインが煌めいていた。香港の夜景、ロンドンのピカデリーサーカスからも日本企業名が消えた」

――日本企業の存在感が低下していると。

「平成元年(1989年)、株式時価総額の世界のトップ50に32社入っていた日本企業が、現在はトヨタ1社。アメリカのGAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)+M(Microsoft)のIT5社の時価総額は約380兆円。中国はテンセント、アリババのIT2社で約80兆円。日本はトヨタ、NTTドコモ、ソフトバンクグループ、三菱UFJ、キーエンスのトップ5の合計が約50兆円にとどまる(時価総額は2018年末時点)」

――平成時代に産業構造転換が進んだ。

「この間の構造転換の本質を理解できなければ産業の未来は議論できない。要するに漫然とした現状延長的な問題意識では、直面している時代の本質は分からない。日本の工業生産力モデルは一定の成果を収め、プラザ合意前の1980年代前半にピークを迎えた。80年の東証時価総額上位10社には、『鉄は国家なり』の新日本製鉄をはじめ、モノづくり日本を代表する企業が名を連ねていた。85年のプラザ合意後、日本円という通貨が交換価値を高めて、89年(平成元年)にはソニーがコロンビア映画を買い、三菱地所がロックフェラーセンターを手に入れた。工業生産力モデルの成功体験をテコに通貨価値が高まって、成功モデルが肥大化した。日本は平成の30年間を跨いで、いまだに固定観念のように工業生産力モデルにすがりつき、心のどこかで自国通貨の価値が高まるより、工業製品の輸出に有利な円安に期待するという精神状態から抜け出せないでいる」

――相対的に金融経済が拡大した。

「実体経済という意味において、工業生産力モデルの持つ価値は持続したが、平成の30年間の大きな変化はマネーゲームと並走したことだろう。1989年末のマルタ会談で44年にわたって続いた冷戦が終結し、それまでの産業金融が激変した。冷戦時代、アメリカの理工学系大学の優秀な卒業生は防衛、軍需産業に吸収されていた。ペンタゴン(米国防総省)は、ソ連から核攻撃を受けた場合の防衛システム集中管理体制の機能不全リスクを回避するため、開放系・分散系の情報技術、アーパネットを完成させていた。冷戦が終結すると軍需産業が一気に衰退。アーパネット技術が民間に開放されたことでインターネットが普及し、金融工学が発展する。マイケル・ミルケンのジャンクボンド、ジョージ・ソロスのヘッジファンドなどが登場。企業活動を取り巻く、為替変動、金利変動、原油価格変動、気候変動などのリスクをマネジメントするビジネスモデルが台頭してくる」

――その金融ビジネスも崩壊する。

「ITの普及によって金融工学は急速な発展を遂げるが、マネーゲームが新しい性格を帯びてきて、ゆがんだ形で爆発し、リーマン・ショックに至った。この間、ベンチャー・キャピタルやインベストメント・ファンドがシリコンバレーのビジネスモデルに資金を提供し、GAFAの時代が到来し、現在の時価総額の異様なまでの肥大化につながった。産業論的に振り返ると、こうした構造変化が見えてくる」

――日本の産業界にとっての課題は。

「工業生産力モデルの最も典型である日本製鉄の時価総額が2兆円を割っている。アップル、アマゾンの50分の1の評価もされていないという現実を深刻に受け止めなければならない。構造変化の要因を分析し、農業を安楽死させてきた産業概念を抜本的に見直さなければならない。工業生産力モデルが成功した理由のひとつが人口の増大だった。日本の人口は20世紀の100年間で4300万人から1億2700万に増加した。人口が3倍に増加する中、農業セクターから工業セクターに人口を移動させるさせることで工業生産モデルを確立した」

――21世紀、日本は人口が減少する。

「政府の予測では21世紀に日本の人口は半減する。2008年の1億2809万人がピークで、2050年に9500万人規模に縮小し、22世紀初頭には5000万人台となる。内なる構造変化と外なる激変の両方を見据えて、新しい産業モデルを創出していかなければならない」

(谷藤 真澄)

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