日本労働組合総連合会(連合)はナショナルセンターとして大同団結して発足し、平成とほぼ同じ30年の歴史を刻んできた。バブル崩壊、デフレ、中国ブーム、世界的な景気拡大、リーマン・ショックによる後退、緩やかな回復まで経済の大変動を乗り越えてきた。平成を振り返るとともに、労働組合の立場から神津里季生会長に日本経済、社会の課題、展望を聞いた。
――連合は30年を経てきた。
「平成元年11月の発足だから、まさに平成とともに歩んできた。当時はドイツ統一やソ連崩壊で東西冷戦体制が大きく変わった頃だ。連合は『労働4団体』と言っていた総評(日本労働組合総評議会)、同盟(全日本労働総同盟)、中立労連(中立労働組合連絡会議)、新産別(全国産業別労働組合連合)という4つのナショナルセンターが大同団結して結成された。政治との関係で言えば、総評は当時の社会党支持、同盟は民社党支持など、路線の違いを乗り越えた。時代を遡ると、1973年のオイルショックまで、経済成長率10%程度は当たり前だった。物価上昇も相当あったが、賃金上昇がそれをカバーし得るような流れが20年近く続いていた。世界でも例を見ない高度成長が、オイルショックで大きく転換期を迎えた。賃金交渉は労働運動の原点であり、当時はその存在感がある意味で自然にあったが、賃上げ基調が大きく変わる中、政策課題としての税制や社会保障の比重が高まり、労働運動としてもそこへの対応が必至だった。大同団結を目指してから長い年月がかかったが、当時の先輩方が立場を超えて一つにまとまった。その見方は正しかったと思うし、当時の問題だった社会保障や税財政は、今でも日本にとって最大の課題だ。政策を実現するためには政治がまともになる必要があるが、自民党中心の政治だけでは、なかなか働く者や生活者本位の政策が実現しない。欧米先進国を見ても二大政党的体制であり、緊張感のある政治体制が望ましい。非自民の政権は細川連立政権・民主党政権と2回成立したが、理想の実現に向けた道は果てしなく遠い」
――鉄冷えとかプラザ合意とか世界の奔流に巻き込まれてきた。
「鉄鋼産業にとっては、85年のプラザ合意が非常に大きなインパクトだった。私の出身の新日鉄(現新日鉄住金)が70年の発足だが、当時(日本の粗鋼生産)2億トン時代を展望していた。ところがオイルショックの勃発でそれどころではない。新日鉄は合併以降、ほとんどが合理化の歴史と言っても大げさではない。1ドル240円が一気に120円になるような大幅かつ急激な円高を受け、産業として国内でやっていけるのかという状況だった」
「オイルショックの後、日本は本来、高度成長期とは違う姿を模索すべきだったが、それがきちんとできなかった。赤字国債が発行され始めたのはオイルショック以降だ。本来は特例国債といい、まさに特例のはずだったが、その後どんどん増えた。オイルショックで経済の基調が決定的に変わった中、一時のバブルでぬるま湯につかったこともあり、大きな痛みを感じないまま来てしまった。消費税が始まったのは平成元年だ。竹下(登元首相)さんは政治家としては立派で、負担の構造にしっかりメスを入れた。その前に大平(正芳元首相)さんが間接税増税を持ち出したが、志半ばでできなかった。橋本(龍太郎元首相)さんは消費税率を上げた後の選挙では手痛い洗礼を浴びたし、野田さん(佳彦元首相)も三党合意という業績は立派だったが、党の分裂で政権は瓦解した。不幸なことの繰り返しで30年が推移してしまった。政治家が選挙を怖がって、税財政に本格的に手を付けずに来たことは大きな問題だ」
――鉄鋼業界もアジア危機、ゴーンショックなどもあり、統合や合理化が進んだ。
「新日鉄労連の結成30周年行事が、私が同会長になる頃(02年)にあった。それまで、相当な合理化と人員削減を長年にわたりやっていた。出向や転籍など、譲らなければいけないところは譲りつつ、経営側の雇用責任について、労使交渉の議事録にも明確に残しながら、何とかくぐり抜けてきた。一方で、30周年の祝賀会では『人の数を減らすことでの危機打開はこれからはできない』ということもあえて言った。グローバル化が進み、価格競争も広がる中、鉄鋼産業は技術力をさらに磨く必要があった。技術力は現場力であり、労使で力を合わせてやっていかなければいけないと考えていた。鉄鋼産業は国内の合従連衡を含め、やれることはしっかりやってきており、世界有数の存在としての地歩は引き続き確保している。労使の並々ならぬ努力があってこそのことだ」
「70年の富士・八幡の合併はセンセーショナルだった。それ以降はずっと合理化が続いたが、歴史の必然でもあったと思う。新日鉄と住金が一緒になったことも、昔であれば考えられない。しかし、貧すれば鈍すということではなく、先見の明といえる。今般、日新製鋼がグループに入り、名称も4月から日本製鉄になるが、これもある意味で攻めの再編だ。一歩も二歩も先んずることの大事さを、身をもって経験しているのが鉄鋼業界だ」(正清 俊夫)