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2024.12.20
2017年1月24日
●対談 鉄鋼・非鉄業界の展望と課題(第1回)■日本の技術力■ 新日鉄住金相談役 友野宏氏/銑鋼一貫でトップ走る|住友金属鉱山会長 家守伸正氏/自溶炉プロセス改良先導
世界は激動の時代を迎えている。鉄鋼・非鉄業界も世界経済、需給、資源・製品価格の大きな変動の波に翻弄されている。鉄鋼、非鉄メーカーが持続的成長を実現するには、世界最先端の技術力、ものづくり力、提案力を含む総合力を磨き、グローバルマーケットにおける存在感を高めていくことが不可欠となっている。
友野宏・新日鉄住金相談役、家守伸正・住友金属鉱山会長は、世界の鉄鋼・非鉄業界を代表する企業の経営トップを務めるとともに、博士号を持つ業界を代表する技術者としてモノづくり立国の発展に努めてきた。
産業新聞社は創刊80周年を記念し、対談「鉄鋼・非鉄業界の展望と課題」を企画。友野・家守両氏に「日本の鉄鋼・非鉄業界の技術力」「日本の鉄鋼メーカー、非鉄メーカーの国際競争力」「鉄鋼・非鉄業界の将来展望と課題」をテーマに語り合っていただいた。
司会=産業新聞社・谷藤真澄編集局長
司会「本日は『鉄鋼・非鉄業界の展望と課題』をメーンテーマに、技術、経営、国際競争力、将来展望などについて幅広い視点で縦横無尽に話題を展開していただきたいと考えています。まずは『日本の鉄鋼・非鉄業界の技術力』について。一つ目のキーワードは『製造プロセス技術』です」
友野「高炉による銑鋼一貫製造技術は現時点で最も効率的な鉄鋼製造プロセスといえるだろう。大型高炉、転炉、連続鋳造、熱延ミルなどで構成するが、いずれも日本が工業化し、磨き上げてきた。日本やドイツなどの重工メーカーに設備を発注した中国、韓国、インドの鉄鋼大手が猛追しており、油断してはならないが、基本は同じ土俵上での勝負。先行者利益を生かして、品質、効率、コストなどの面で日本が世界をリードしている」
家守「銅製錬の代表的なプロセスは今でもオウトクンプ式自溶炉で、世界の銅生産の4割を占める。製錬工程では銅精鉱から鉄と硫黄を除去し、粗銅を製造しているが、かつては7割を占めた米国の反射炉が主流だった。反射炉は銅精鉱を溶かすだけで、硫黄と鉄を除去する次工程が必要となり、熱効率も悪かった。フィンランドのオウトクンプが銅精鉱中の硫黄と鉄を燃料として活用して効率的に銅分を溶解する自溶炉プロセスを開発し、1949年に商業プラントを建設した。当時、日本では古河鉱業(現・古河機械金属)、同和鉱業(現・DOWAホールディングス)、日本鉱業(現・JX金属)、住友金属鉱山、神岡鉱業(現・三井金属鉱業)の銅製錬5社が溶鉱炉を導入していたが、古河鉱業がオウトクンプ式自溶炉に技術改良を加え、足尾鉱業所で56年に操業を開始した。自溶炉の基本技術を開発したのはオウトクンプだが、銅の製錬プロセスとして確立したのは古河鉱業といえる。国内の銅需要の増大が見込まれる中、当社を含む4社も自溶炉に転換していった。各社それぞれに技術改良を加えていたが、当社が71年に立ち上げた東予製錬所は、プロセスコンピューターによる製造管理システムを装備し、自溶炉プロセスの近代化を果たした。その後も日本の製錬業界が自溶炉プロセスの改良を先導してきた。世界で20を超える自溶炉が操業しているが、プロセスはほぼ同じ。人件費が安い国・地域がコスト競争力を持つが、技術力では日本のメーカーが先を走っている」
友野「同じ様に一貫製鉄法の開発の歴史を振り返ると、日本は第2次大戦後の世界のプロセスイノベーションをリードし、欧米に追いつき、追い越して、トップを走り続けている。米国は戦後も長い間、世界最大の鉄鋼生産国だったが、中型高炉、平炉、造塊、分塊という当時の成熟したプロセスで十分の製造能力を持ち、かつ、償却も進んでいたので、転炉や連続鋳造に代表される革新プロセスにチャレンジするというインセンティブがなかった。一方、敗戦した日本は製鉄所の設備を失い、資金も不足していたが、生き残ったエンジニアたちが平炉を転炉、造塊を連続鋳造にそれぞれ置き換える挑戦を続け、技術改良を重ねることで、大型高炉による銑鋼一貫製造プロセスを完成させた。巨大な一貫製鉄プロセスは自動化が進んでおり、特に上工程においては、スケールメリットが人件費の差を吸収する。ここが非鉄と少し異なる。日本の鉄鋼業は、国内の上工程の製造基盤を強化しつつ、中間製品を海外の需要地に輸出して、冷延鋼板や表面処理鋼板などの最終製品を現地供給するビジネスモデルを確立している」
▽友野宏(ともの・ひろし)氏=1971年京都大学大学院工学研究科修士課程修了、住友金属工業入社。79年スイス連邦工科大学で工学博士号を取得。01年鹿島製鉄所長、05年社長就任。12年新日鉄住金社長兼COO、14年副会長、15年相談役。日本鉄鋼連盟会長、日本鉄鋼協会会長などを歴任。1945年7月13日生まれ、長野県出身。
▽家守伸正(けもり・のぶまさ)氏=1980年大阪大学大学院工学研究科(冶金学)博士課程修了、住友金属鉱山入社。98年別子事業所ニッケル工場長、04年執行役員、06年取締役常務金属事業本部長、07年社長、13年会長。日本鉱業協会会長、資源・素材学会会長などを歴任。1951年4月12日生まれ、岡山県出身。
友野宏・新日鉄住金相談役、家守伸正・住友金属鉱山会長は、世界の鉄鋼・非鉄業界を代表する企業の経営トップを務めるとともに、博士号を持つ業界を代表する技術者としてモノづくり立国の発展に努めてきた。
産業新聞社は創刊80周年を記念し、対談「鉄鋼・非鉄業界の展望と課題」を企画。友野・家守両氏に「日本の鉄鋼・非鉄業界の技術力」「日本の鉄鋼メーカー、非鉄メーカーの国際競争力」「鉄鋼・非鉄業界の将来展望と課題」をテーマに語り合っていただいた。
司会=産業新聞社・谷藤真澄編集局長
司会「本日は『鉄鋼・非鉄業界の展望と課題』をメーンテーマに、技術、経営、国際競争力、将来展望などについて幅広い視点で縦横無尽に話題を展開していただきたいと考えています。まずは『日本の鉄鋼・非鉄業界の技術力』について。一つ目のキーワードは『製造プロセス技術』です」
友野「高炉による銑鋼一貫製造技術は現時点で最も効率的な鉄鋼製造プロセスといえるだろう。大型高炉、転炉、連続鋳造、熱延ミルなどで構成するが、いずれも日本が工業化し、磨き上げてきた。日本やドイツなどの重工メーカーに設備を発注した中国、韓国、インドの鉄鋼大手が猛追しており、油断してはならないが、基本は同じ土俵上での勝負。先行者利益を生かして、品質、効率、コストなどの面で日本が世界をリードしている」
家守「銅製錬の代表的なプロセスは今でもオウトクンプ式自溶炉で、世界の銅生産の4割を占める。製錬工程では銅精鉱から鉄と硫黄を除去し、粗銅を製造しているが、かつては7割を占めた米国の反射炉が主流だった。反射炉は銅精鉱を溶かすだけで、硫黄と鉄を除去する次工程が必要となり、熱効率も悪かった。フィンランドのオウトクンプが銅精鉱中の硫黄と鉄を燃料として活用して効率的に銅分を溶解する自溶炉プロセスを開発し、1949年に商業プラントを建設した。当時、日本では古河鉱業(現・古河機械金属)、同和鉱業(現・DOWAホールディングス)、日本鉱業(現・JX金属)、住友金属鉱山、神岡鉱業(現・三井金属鉱業)の銅製錬5社が溶鉱炉を導入していたが、古河鉱業がオウトクンプ式自溶炉に技術改良を加え、足尾鉱業所で56年に操業を開始した。自溶炉の基本技術を開発したのはオウトクンプだが、銅の製錬プロセスとして確立したのは古河鉱業といえる。国内の銅需要の増大が見込まれる中、当社を含む4社も自溶炉に転換していった。各社それぞれに技術改良を加えていたが、当社が71年に立ち上げた東予製錬所は、プロセスコンピューターによる製造管理システムを装備し、自溶炉プロセスの近代化を果たした。その後も日本の製錬業界が自溶炉プロセスの改良を先導してきた。世界で20を超える自溶炉が操業しているが、プロセスはほぼ同じ。人件費が安い国・地域がコスト競争力を持つが、技術力では日本のメーカーが先を走っている」
友野「同じ様に一貫製鉄法の開発の歴史を振り返ると、日本は第2次大戦後の世界のプロセスイノベーションをリードし、欧米に追いつき、追い越して、トップを走り続けている。米国は戦後も長い間、世界最大の鉄鋼生産国だったが、中型高炉、平炉、造塊、分塊という当時の成熟したプロセスで十分の製造能力を持ち、かつ、償却も進んでいたので、転炉や連続鋳造に代表される革新プロセスにチャレンジするというインセンティブがなかった。一方、敗戦した日本は製鉄所の設備を失い、資金も不足していたが、生き残ったエンジニアたちが平炉を転炉、造塊を連続鋳造にそれぞれ置き換える挑戦を続け、技術改良を重ねることで、大型高炉による銑鋼一貫製造プロセスを完成させた。巨大な一貫製鉄プロセスは自動化が進んでおり、特に上工程においては、スケールメリットが人件費の差を吸収する。ここが非鉄と少し異なる。日本の鉄鋼業は、国内の上工程の製造基盤を強化しつつ、中間製品を海外の需要地に輸出して、冷延鋼板や表面処理鋼板などの最終製品を現地供給するビジネスモデルを確立している」
▽友野宏(ともの・ひろし)氏=1971年京都大学大学院工学研究科修士課程修了、住友金属工業入社。79年スイス連邦工科大学で工学博士号を取得。01年鹿島製鉄所長、05年社長就任。12年新日鉄住金社長兼COO、14年副会長、15年相談役。日本鉄鋼連盟会長、日本鉄鋼協会会長などを歴任。1945年7月13日生まれ、長野県出身。
▽家守伸正(けもり・のぶまさ)氏=1980年大阪大学大学院工学研究科(冶金学)博士課程修了、住友金属鉱山入社。98年別子事業所ニッケル工場長、04年執行役員、06年取締役常務金属事業本部長、07年社長、13年会長。日本鉱業協会会長、資源・素材学会会長などを歴任。1951年4月12日生まれ、岡山県出身。
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