10億分の1ミリ(ナノメートル)。それが超精密加工に求められる世界である。ナカヤマ精密(本社=大阪市、中山愼一社長)は、どんな難加工への要求も決して断らず、スマートフォンから最先端医療機器に至るまで、日本国内での製造にこだわり、超精密加工の技術で日本のものづくりの現場を支えている。設立当初は線引きダイスの穴拡大や内面磨き加工を行う超硬合金専用の加工メーカーだった同社。工作機械ではできない技術がそこにあり、材料の特性や性質、成形、研磨剤の粒径や量等、長年の経験で培われた技術がミクロン単位での調整を可能にし、最終仕上げ加工は手仕上げという理念を貫いている。中山社長に、企業への思いなどを聞いた。
――超精密ナノテクノロジー企業へと成長した経緯から。
「受け継がれる熟練の技術はさかのぼること約50年、創業間もない頃から培ってきた。熊本で万屋(よろずや)を営んでいた創業者が1969年に大阪へ移り、線引きダイスの加工事業を始めたことに端を発する。加工事業における成形加工や内面磨きの技術、ノウハウを礎に、時代や産業界が求めるニーズの変化に対応して、金型部品の専門メーカーにシフトし、現在では超精密金型部品加工や精密機械部品加工、半導体装置部品、電子部品製造装置部品などの幅広い製品を供給するに至っている」
「事業領域の拡大に伴い、求められる加工精度のレベルはますます高くなり、設立当時は0・01ミリの加工精度で良かったものが、現在ではナノレベルにまで達しているということだ」
――日本国内でのものづくりにこだわりを持っている。
「当社は中国・上海事務所こそ持っているものの、基本である生産活動は日本で続けていく。納入先の90%以上は国内メーカーであり、部品を供給する側として『メード・イン・ジャパン』に対する責任感もある」
「日本のものづくりを支えてきた中小企業は、半導体不況やリーマン・ショック、円高の影響を受けてその多くが製造現場を海外へ移し、製造業は空洞化していってしまった。企業は利益を追求するだけでなく、従業員の働き口を確保し、生活できる環境を提供していくことが社会的責任だと考える。海外に出た企業は利益が上がった一方、日本の従業員の働く場が無くなってしまうのでは本末転倒を言わざるを得ない。従業員がやりたいことを実現していくための場が企業たりえたい。そのためにも、いま一度攻めの姿勢で事業に取り組み、世界に誇るべきメード・イン・ジャパンを守るという使命感を持っていると自負している」
――国内での製造業を継続するうえでのモットーは。
「技術的に難しい加工オーダーが入ることも度々ある。しかし、どんな難しい精密加工への相談や依頼も、限界に挑戦する技術者魂やプライドにより、ユーザーからのオーダーにはNOと言わず、必ず応える。この姿勢が当社が事業を行ううえでの土台になっている」
「また、攻めの投資なくして、同業他社の先を行くことも、新規分野を開拓することは困難だ。しかし、新しい工作機械を揃えるだけでは、高精度の優れた製品を作ることは出来ない。機械を使いこなす熟練した人間の技があってこそ、初めて精密な製品を世に送り出すことが出来ると考える」
――職人的技術の継承は難しいとされる。
「技能オリンピック選手として活躍し、91年には労働省(現・厚生労働省)から現代の名工にも選ばれた人物が、技術顧問として後進の指導に尽力している。当社に入社した若手技術者ははまず新入社員研修で1週間ほど技術顧問から指導を受ける。金型プレートにヤスリがけを行い6面加工を覚えるというシンプルなものだが、手仕上げによるマイクロ単位の間隔を体位に刻み込ませることで、新人でも10マイクロメートル以下の精度が出せるようになる。これら研修では同時に各自の適正を見極め、その後適材適所に配置されるしくみだ」
――2013年には約10億円を投じて熊本県菊池郡菊陽町に新鋭工場「テクニカルセンター」を開設した。
「業容拡大を受けての生産体制拡充ではなく、日本でのものづくりを続ける決意表明だ。高まる加工精度の要求に応えるため、機械設備の増強を欠かすことは出来ない。同工場には最新鋭のマシニングセンタや旋削盤、放電加工機などを設置し、ナノレベルの加工を実現しており、最も制度の高い設備を使えば、10ナノレベルの制御が可能だ」
「新工場のコンセプトは『ナノ加工技術の実現』『技術力を武器に新規市場への参入』『"見せる工場"の実現』の3つで、特に見せる工場としては、いわゆる中小企業の地味なイメージを払しょくするような、内観、外観ともにデザインにこだわった工場らしくない工場に仕上げた。敷地も塀など外部との仕切りをなくすなど、オープンなイメージを打ち出しており、顧客や同業他社を問わず、多くの方が見学に訪れていただいている」
――本社機能は大阪に置きながら、熊本でのものづくりにこだわる理由は。
「従来、大阪工場と熊本工場の2工場体制を敷いていたが、2000年初頭の半導体不況の影響を受け、半導体産業の集積地に立地する熊本工場への集約化を決めた。また、熊本は両親の故郷でもあり、自身も大好きな土地。その熊本で世界に通用する技術者を育成し、『メード・イン・ジャパン』の製品を供給していきたい」
――製造業者によるコマ大戦にも出場し、九州くまもと場所で優勝を果たしたことも。
「『コマ大戦』と聞くと、ただお遊び的なものと思われがちだが、中小企業が自社の技術とアイディアを注ぎ込んで作製した直径20ミリ以下のコマで戦う大会で、製品や部品を製造するプロの技がぶつかり合う場だ。当社は『出来る限り美しいコマをつくろう』と全面を磨きあげ、最後はやはり職人の手による超精密仕上げを施し、指の力だけで13分間まわり続けるコマを作製した」
「同大会はメディアなどで大きく取り上げられ、当社も『コマのナカヤマさんですね』と言われることも度々(笑)。このような遊びやムダを取り入れることで、結果として認知度を高めるチャンスがあるということも改めて確信した。今はコマ大戦への取り組みは一段落しており、次なる取り組みを探しているところだ」
――新規開拓として、目指している分野は。
「当社のような中小企業としては、大手が参入できないようなニッチ分野で事業展開することに、存在意義を見出せる。すでに宇宙開発分野では、JAXA(宇宙航空研究開発機構)の小惑星探査機『はやぶさ2』の制御ノズル部品を作製しており、今後は、航空機分野および医療関係分野への取組みを強化していきたい」
「航空機分野では、国産ジェット向けの部品供給を視野に、昨年秋に航空事業部を立ち上げた。医療分野では、現在、熊本大学の新森加納子教授と共同で、がん細胞や1ps細胞などに含まれるごく少量のタンパク質を高度に自動検出する『プロテオミクス装置』の開発を進めている。当社では初の医療分野での取り組みだが、金型の精度が最終製品の精度を大きく左右し、極めて高度な加工技術が要求される装置だが、精密加工技術とノウハウには絶対の自信を持っている当社は、『何が何でも完成させる』との意気込みで1号機を完成させた。さらに今年からは日本大学との共同研究もスタートする予定だ」
(福岡 紀子)
▽なかやま・しんいち=大学卒業後、大手製薬会社に勤務。その後、1987年、27歳の時に中山精密工具(現ナカヤマ精密)へ入社。生産管理や営業に従事し、94年に熊本工場へ出向。熊本統括責任者を経て、2001年社長に就任。60年生まれ、大阪府出身。
会社概要
1969年6月大阪市で中山精密工具として設立。超硬合金を主とする耐摩精密工具類の設計・製造販売を行う。84年熊本県にテクノポリス計画に沿い、熊本県西原町に熊本工場を建設。91年に社名を現社名に変更。01年大阪本社工場を熊本工場へ統合。12年上海現地法人設立。13年熊本県菊池郡菊陽町にテクニカルセンターを開設。資本金4800万円、従業員数191人(15年4月現在)。