興亜産業九州支店(所在地=福岡市博多区)では、小山孝子さんが支店長として部下を日々まとめている。工場事務やコイルセンターなど鉄になじみ深い経歴を持ち、転職で鉄鋼専門商社へ。管理職を経て同社初の女性支店長となった。小山さんに、入社までの経歴や業務内容などについて聞いた。
――入社前は。
「福岡の専門学校でビジネス秘書について学んだのち、最初は窯炉工場で5年間働いていました。北九州出身なのですが、新日鉄八幡製鉄所(現日本製鉄九州製鉄所)をはじめ工場がたくさんあり、鉄そのものが身近だったんですよ。それもあってか一般事務の求人はなかなかなくて。福岡ならあるのですが……。退職後は工場事務や医療事務を10年ほど経て、コイルセンターへ。派遣社員として入社後、一般職の正社員となり、納期調整など店売りの営業事務を5年担当していました」
――コイルセンターを経験。
「工場事務の経験があったので、スムーズに業界に溶け込めました。営業事務は女性が8人ほどいたので、男性社会ならではの大変さもなかったです。ただ専門用語などの呼び方は慣れるまでに時間が掛かりました。長さを尺で計算する文化があったり、コイルの内径をインチで数えたり……。用語が独特だなと。0・8ミリの板厚を『コンマはち』と呼ぶほか、重さの言い回しも変わっていますよね。工場は初めて見るものばかり。最初は長くて複雑な設備が何をしているのか分からず、『こんな世界があるんだ』と純粋に受け取ったのを覚えています。仕事に慣れてからは、納期を急ぐ注文が入ると、自らヘルメットを被って現場に行き『明日欲しい』と直接伝えることも。外回りの営業職を通じてお客さまの反応を直接知ることができ、やりがいがありましたね」
――興亜産業へ。
「営業を専門とする九州支店開設の半年後、2010年4月に総合職で入社しました。当時の支店は男性2人、女性1人の計3人でしたね。19年4月から課長を務め、21年4月、支店長に就任。いずれも興亜産業で女性が就くのは私が初めてです」
――入社後は。
「入社時は中国―関西地区で自動車向けの薄板を担当していました。支店が立ち上がったばかりの時期だったので、数十トン単位のお取引でしたね。申し込み、加工、納期調整、出荷――という流れはコイルセンターの経験と通ずるものが多くて。歩留まりの計算なども違和感なく、自然と仕事になじめました」
――驚いたことを。
「コイルセンターでは営業事務だったこともあり、仕入れ先である鉄鋼メーカーや母材をご契約いただくお客さまの声を直接お聞きする機会があまりありませんでした。電話を取ることがあっても、製品を販売するお客さまだけでしたね。商社はメーカーとのお取引で直接お会いします。言葉一つ一つに緊張感があるなと思いました」
――うれしいことは。
「お客さまに直接感謝されるのがうれしいですね。面と向かって『小山さんに任せたら安心だ』と言っていただけたことがあり、今でも心に残っています。また仕入れ先との調整がうまく行った時もうれしく思います」
――大変なことも。
「酸洗と冷延を間違えて注文してしまい、お客さまからの問い合わせでミスに気付いたことがありました。すでに発注を終えて動いている段階。ミスした分は、他で使えるからとお客さまが引き取ってくださったのですが、1回の注文に対し緊張感を持つ大切さを痛感しました。モノを持っていない商社だからこそ、正確に発注しなければならない。二度とあんな思いはしたくないです。心臓がキューッとなりましたね……」
――心境に変化が。
「コイルセンターと商社の双方を経験し、優しい方が多い業界だなと感じました。仕事は楽しいですし、私に任せたら安心と思っていただけることが原動力につながりました。同時に尊敬できる上司の下で仕事をする機会に恵まれ、次第に『何か恩返しできるのか?』『自分は後輩に対して、上司と同じように行動できるだろうか?』と考えるように。後輩をフォローできる存在になりたいという気持ちが強くなりました」
――管理職へ。
「19年に課長になる際、3カ月前に事前に知らせを受けて驚きました。当時は管理職を目指していたわけではなかったんです。社内でお祝いのメールをもらう際などに“女性初"と呼ばれることや、部下を育てなければならないことにプレッシャーがありましたね。1人目ならではですが、ロールモデルがいなくて、どうしたらいいか分からないという悩みもありました」(芦田 彩)
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