JFEスチールのスチール研究所で、ステンレス鋼・鉄粉研究部部長の杉原玲子さんが日々業務にあたっている。男女雇用機会均等法の施行からしばらく経った1991年、旧日本鋼管に総合職として入社。女性ならではの課題に直面しながらも、自動車用鋼板や缶用鋼板の研究などに携わってきた。研究員として入社したきっかけ、これまでの業務内容について聞いた。
――入社までの経緯を。
「名古屋大学工学部金属および鉄鋼工学科で、金属材料全般について学び、修士課程では鉄鋼材料を研究しました。具体的に言うと、ステンレスに近い材料の耐食性などです。金属という名前が付く学科は現在ではあまり聞きませんね。国内高炉メーカー出身の教授で、その道で有名な方のもとで学んでいました。もともと、一生できる仕事に就きたいと思って理系に進んだんです。文系だと教師や公務員のイメージしかなく、父親がメーカーでサラリーマンをしていたのがきっかけで意識するようになりましたね。一番の得意科目は現代国語、苦手なのは数学と物理だったのですが(笑)」
――一生できる仕事を目指して理系へ進んだ。
「高校時代の先生は『あなたは教師に向いているから文系に進学しなさい』と仰ってくださいました。大学進学後に塾講師のアルバイト経験もしましたが、人の人生に多様な影響を与える教師を目指す気持ちにはなれませんでした。当時はバブル全盛期でシステム開発などの採用が多く、理系ながら銀行など金融機関に就職する先輩が多かったですね。理系学部から大学院に進学するのは学生の半分、残りの就職する学生のうち半分は文系企業といった具合でした。そんな状況を見て、技術のすごさ、科学の面白さを分かってほしいと、大学側が工場見学などさまざまな企画を開いてくれたんです。それがきっかけとなり、当時は大学卒業後に就職するつもりでしたが大学院に進学。金属の研究を続け、鉄鋼メーカーを目指しました」
――大学院を経て91年に就職。
「当時は大手高炉メーカーが6社あり、会社の雰囲気が自分に一番合うと感じた日本鋼管(現JFEスチール)に入社しました。チームで仕事をする社風に惹かれましたね。男女雇用機会均等法が施行されてから数年経ったころだったので、女性の総合職採用がありました。入社時は同期社員約300人中9人が女性。そのうち文系が4人、技術系が5人でした。当時はエレクトロニクスやバイオの分野に人気があり、鉄をやりたくて入った女性は私1人でした」
――入社後は。
「技術開発本部鉄鋼研究所京浜研究所に配属され、自動車用鋼板の担当をしていました。この部署では紅一点でしたが、他人と比べられることもなく、皆さんとてもかわいがってくださり気が楽だったのを覚えています。一般職の女性社員がいたので、トイレなど社内の設備面で困ることも特にありませんでしたね」
――研究員として順調なスタートを切った。
「その後、研究所内の薄板研究室、福山材料研究センターの容器材料研究室に所属。薄板や缶用鋼板の研究を行っていました。缶といっても、ジュースやコーヒーなどの飲料缶、ドラム缶、一斗缶、ペール缶などたくさんの種類があります。中でも飲料缶は面白いです。例えば、ツーピース缶という2つの部品から構成される鉄の飲料缶は、鋼板が伸び縮みする特長を生かして円盤状の鋼板から底付きの円柱を作っているんです。アルミ製のビール缶もツーピース缶の一種で、加工してから缶体にラベルを印刷します。缶の世界には素晴らしい技術がたくさんあり、魅力であふれています。缶についてだけで2時間以上は語ることができますよ(笑)」
――印象に残る業務は。
「96―97年ごろ、容器材料研究室に所属している時に新ラインを立ち上げる業務がありました。お客さまに、新ライン建設を認めていただくための検討に人手が必要で、担当業務の傍ら応援として関わっていました。みんなで共通の大きな目標に向かっていけることが面白かったですね。ところが、正式にお客さまに認められ、いよいよライン建設というタイミングでメンバーから外れることになってしまいました。ラインの建設は昼夜問わず行われ、その間は交代制勤務となります。当時は女性の深夜労働が法律で認められていなかったんです」
――法律が壁となった。
「ラインの建設はめったにないことです。このような大仕事に関れることがうれしく、実際にメンバーとして奔走。研究所、工場、管理部門のメンバーがベクトルを合わせて素晴らしいスピードで仕事をし、お客さまがそれも見て信頼してくださった、肝心のタイミングで制限がかかってしまいました。直接担当できなかったことは残念でしたが、新たな担当者も加わり、男性社員が交代勤務を組みながら最速でライン立ち上げが成し遂げられました。偶然にも直後の99年、男女雇用機会均等法の改正に伴い労働基準法も改正され、18歳以上の女性が原則全ての業務において深夜労働が認められるようになりました」
――2003年、JFEスチールへ。
「統合を機に、スチール研究所薄板研究部の福山駐在となりました。ここからは薄板と自動車用鋼板、ステンレス鋼板を研究していきます」
(芦田 彩)