2020年10月7日
「道をゆく わが歩みと未来への提言」 エンビプロ・ホールディングス社長 佐野富和氏 進化は「危機」から
――金属リサイクルを中心にグローバルな幅広い資源循環事業を手掛け、常に新しいサステナビリティ戦略で業界を驚かせています。社長の社会への最初の1歩はどのようなものでしたか。
「1950年に父が創業した当社の私が子供の頃はまだ問屋というよりいわゆる寄屋だった。その頃金属スクラップ、製紙原料、古布、ビンくずなどを扱っていた佐野マルカ商店がエコネコル、そしてエンビプログループの始まり。幼少期は地域の言葉で『ボッコ屋』の富和くんと言われ、子供心に劣等感を持っていた。わが家はなぜこのような仕事をしているのかと恨みがましく思ったこともあったが、私が中学3年の時、生徒会長に選ばれたことを伝えた時の父の喜びの涙が家業を継ぐことを決心させた。ただ親を喜ばせたいという一心で職種は関係なかったが、振り返れば身近な人を喜ばせるというところから、徐々にその範囲を広げていくことで人生の幅も広がった。だからこれが社会への最初の1歩と言える。社員をいかに喜ばせるかというのは社長の仕事の一つでもあるからだ。15歳で職に志した事で事業にその考え方を早めに反映させる事ができたと感じている。74年に明治大学を卒業後、佐野マルカ商店に入社。2年後に休職し、当時通産大臣(今の経産大臣)だった故江崎真澄代議士の砂防会館の事務所に私設秘書として入所した。学生時代私は少林寺拳法部の主将で、当時少林寺拳法普及のため作った少林寺拳法振興議員連盟の会長が同氏だったご縁で、大学3年の後半から書生として住み込み、学校に通った。改めて秘書として代議士の薫陶を受けたことで電話での言葉の使い方から、秘書として代議士が今何を考え、何を必要としているかを常に先回りして考える習慣など、人生を賢く生き抜く上で必要な多くの知恵を学んだ。現在当社で『神は細部に宿る』という言葉を書き入れた手帳型の経営計画書を社員全員が持ち、朝礼で繰り返し読んでもらっているのは、細やかな心遣いの大切さを知ったこの貴重な体験が元だ。また経営者も政治家も、リーダーシップを発揮し社会課題を解決するという点では同じで、その解決力が高く、他の人にできないことをやれる人が多くの人に喜ばれ、その対価を享受できるという事も学んだ。特に昨今は社会課題の解決が事業と直結することが多くなっており、秘書時代の多くの気づきや出会いは後々、当社の事業の在り方に強く影響したと思っている」
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